英語原文からの翻訳です。訂正歓迎します。
高岡 — 新幹線が金沢へ急ぐ途中、通り過ぎてゆく富山の町
北陸新幹線は新高岡(新高岡)で人を降ろすが、多くはそのまま乗り続け、二十分南の金沢を目指す。ここで降りてみても、町はあわてて迎えにくることはない。二両編成のローカル列車がことこと揺られて高岡(高岡)の中心へと運び、南口を出れば、なんの変哲もない住宅地の一本道が、三つの国宝が身を寄せる寺へと伸びている ── その道の先には、ほとんど人影がない。
多くの列車が通り過ぎる寺
瑞龍寺(瑞龍寺)は高岡駅から歩いて十分から十五分、自動販売機と停められた自転車のわきを抜けた先にあり、小さな窓口で五百円を求められる。この曹洞宗の伽藍は、町をつくった領主・前田利長を弔うため一六五九年ごろに完成し、山門、仏殿、法堂は一九九七年に国宝に指定された。配置は厳格で左右対称 ── 門、芝、堂が一直線の軸の上に並び、まるで中国の禅の指南書がそのまま描いたようだ。
心に残るのは、境内をぐるりと囲む木の回廊だ。中庭の四方をとぎれることなく巡り、板は踏まれて色あせ、午前の遅い時刻には光が柱のあいだを低く横から差し込んでくる。今も僧がここを掃く。拝観は九時から十六時半まで、十二月中旬から一月にかけては十六時までと短くなり、受付は閉門の三十分前に終わる。
この回廊こそが眼目だ。一度も土を踏まずに四角い伽藍をひと巡りするあいだ、外の町は梁の向こうで静かに遠のいていく。
今も銅を注ぐ通り
駅から北へ十分歩くと、舗道は石畳に変わる。金屋町(金屋町)は格子造りの家々が並ぶ五百メートルの通りで ── 細い縦の桟は千本格子(千本格子)と呼ばれる ── 高岡が四百年にわたって金属を鋳てきた場所だ。前田は一六一一年に七人の鋳物師をここへ招き、町は今も日本の銅器、銅器(銅器)の大半をつくり続けている ── 寺の梵鐘、香炉、全国の社殿の屋根にのる青銅の獣たち。
工房の戸が開いていれば、金属と金属が触れ合う鈍い響きが聞こえてくる。もっともよく知られた鋳造元・能作(能作)は、手のなかで曲がるほど柔らかい錫を、新しい形をそのまま保つ籠に仕立て、その品々は通り沿いの店で、より重い青銅とならんで置かれている。値は箸置きの数百円から、器の一万円をゆうに超えるものまで幅がある。これらの町家は二〇一二年に国の重要伝統的建造物群保存地区となった。
歩み寄れる大仏
駅の方へ戻ると、高岡大仏(高岡大仏)が立っている。高さ十六メートル近い青銅の坐像で、町の鋳物師たちが数十年をかけて鋳あげ、一九三三年に完成した。入場券もなければ、行列もない。数段の階段をのぼれば、台座の下の薄暗い一室に、青銅像が取って代わる前の火災を生き延びた、焼け焦げた木造の仏頭が納められている。
地元の人は、これを奈良や鎌倉とならぶ日本三大仏のひとつだと語る ── どの町も口にし、だれも裁定しない類いの主張だ。それはなんでもない交差点に鎮座し、足もとを車が行き交う、記念碑というよりは隣人のように。
商家の構えと午後の光
大仏と駅のあいだにある山町筋(山町筋)の一画には、土蔵造り(土蔵造り)の商家が並ぶ ── 厚い防火の漆喰壁、深い軒、交易で財をなした家々が築いた黒と黄土色の構えだ。午後になると西日がその表を斜めになでて、店先がほのかに輝く。いくつかは茶房や小さなギャラリーとして開かれているが、多くはただ人の暮らす家だ。
高岡は『ドラえもん』を描いた藤子・F・不二雄の故郷でもあり、高岡駅のわきから発つ万葉線(万葉線)の路面電車には、一両まるごと青い猫に塗られたものが走っている。数百円で湾のほうへと乗っていける。子どもたちは見向きもせず乗り込む ── ここではそれは日常の足であって、テーマではない。
高岡の午後は、銅の匂いと寺の静けさでできている。
行き方、そしてひとつの落とし穴
東京から北陸新幹線で新高岡までおよそ二時間四十分、金沢からならおよそ二十分。落とし穴は、新高岡と高岡が一〜三キロ離れた別々の駅で、短いJR城端線 ── 三分のローカル区間 ── で結ばれていることだ。だが列車の本数が少ないので、新幹線のホームを降りてからではなく、降りる前に時刻表を確かめておきたい。歩いて訪ねる価値のあるものはすべて、新幹線の駅ではなく高岡駅のまわりに集まっている。できれば平日に来るといい。昼前の瑞龍寺は回廊を独り占めでき、銅の通りはゆっくりと目を覚ます ── それがこの町にふさわしい速さだ。
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