英語原文からの翻訳です。訂正歓迎します。
水の都・大垣 ―― 『聲の形』が描いた水路と鯉をたどって
名古屋からの新快速がホームに滑り込むと、まず耳に届くのはランドマークではなく音だ ―― どこか視界の外で流れる、水の音。大垣は自らを「水の都」と称するが、改札を出て五分もすれば、それが標語ではなく事実だとわかる。商店街のわきを水路が走り、鯉が流れに逆らって身を保ち、午後の光が水面ではね返って橋の裏側を照らしている。
映画が名を伏せた町
『聲の形』(英題 A Silent Voice)は、その舞台がどこなのかを作中で口にすることはない。けれど京都アニメーションは、2016年のこの映画を大垣の実際の地形から組み立てており、公開から数週間で観客たちは地図を突き止めていた ―― あの歩道橋、校門、水門川の細長い緑の帯。訪れて残るのは、フレームのチェックリストではなく、歩けば画面のなかとほとんど寸分たがわずふるまう町そのものだ。
距離が正直なのだ。翻案された土地では珍しいことである。登場人物が駅から川へ、そして公園へと歩くとき、それはあなたが歩くのと同じ十五分で、視線の通り方も変わらない ―― 同じ手すり、同じ低い堰、たどり着く前に音が聞こえてくる同じ水。大垣は東海道本線沿い、名古屋から西へおよそ三十五分のところにあり、物語の地理はまるごと、急がず歩く一日の午後におさまってしまう。
水門川を歩く
水門川は川というより、管理された水路に近い ―― 腰の深さほどで、澄んでいて、城跡から稲田の広がる平野へと町の中心を縫って流れる。舗装された小道が寄り添い、川が開けたところには四季の広場と呼ばれる広場があって、映画を観た人なら一目でそれとわかる螺旋のスロープがある。平日の朝、そこを行き交うのは自転車の通勤客や椅子を広げる年配の男性たちで、カメラを提げた旅行者ではない。
この町がこのかたちをとったのは、水があったからだ。大垣は地下水が自らの圧力で地表に湧き出す扇状地の上にあり、その地下水 ―― 大垣の地下水 ―― は2008年に平成の名水百選に選ばれた。駅の北側から歩いてすぐの大垣八幡神社では、公共の水汲み場が絶えることなく流れ、住民たちは一日を通して空のボトルを手に、それを家へ持ち帰りに訪れる。
水の音がずっと聞こえている町だ。
鯉と、パンと、フレームと
もっとも写真に撮られる場所は、水門川にかかる低い橋だ。映画のなかで、二人の登場人物が身を乗り出して鯉に餌をやる、あの橋。鯉は本物で、いまもそこにいる ―― 何十匹もの、暗い影が、欄干を横切る影を認めた瞬間に押し寄せ、身をひるがえす。近くの店では魚の餌が一袋百円ほどで売られている。スマホを持った手から投げられるパンは、この水には要らないものだ。
ここで、聖地巡礼はあなたに何かを求める。橋はふつうの家々のあいだに立ち、物語に登場する小学校は、なかに子どもたちのいる現役の学校であって、セットではない。欄干に立ち、鯉を眺め、目当ての写真を撮り、そして声は通りと同じ高さに保つこと。あなたが立っているそのフレームは、そこに暮らす人々のものなのだ。
町はあなたのために演じたりはしない。ただ一日じゅう、アニメーターが描いたそのことを、淡々と続けているだけだ。
水の味
大垣は地下水を菓子に変える。水まんじゅうは暖かい季節の菓子だ ―― 葛とわらび粉の粒で餡を包み、小さなガラスの器に収め、湧き水の流れのなかで冷やして、傾けると揺れるほどに仕立てる。店先に並ぶのはおおよそ四月下旬から九月の終わりまでで、寒い月には姿を消し、その頃には同じ店が焼き菓子や蒸し菓子を売っている。
駅の南口から数歩の金蝶園総本家は、優に一世紀を超えてこれを作り続けており、店内のカウンターで一つ百五十円ほど、水の器つきで供している。持ち歩くより、その場で食べるのがいい ―― その食感は、冷たい水を離れてからの十分間のために仕立てられていて、旅にはむかない。もう一軒、餅惣が商店街を少し入ったところで独自の水まんじゅうを売っているので、午後をかけてゆっくり食べ比べるのも、じゅうぶんに理にかなっている。
行き方と、その時期
名古屋からは、東海道本線の新快速が三十分あまりで大垣に着き、運賃は七百七十円ほど、予約も特別料金もいらない。京都からは同じ路線が西から一時間半足らずで運んでくれる。大垣は養老鉄道の終点でもあり、映画の地図の外へ半日を伸ばしたいなら、南へ養老とその滝まで走っている。
五月から九月のあいだに訪れれば、この町がいちばん得意とする二つが一度に味わえる ―― 暖かい水のなかで活発に動く鯉と、店先に並ぶ水まんじゅうだ。歩きの終点にあたる公園に建つ再建天守、大垣城は九時から五時まで開いていて、求められるのは二百円ほど。ここはまた、この町が芭蕉『おくのほそ道』の結びの地であることを示しており、川沿いの道がそれをそっと記念している。避けるに値するただ一つの過ちは、住宅街の路地や校庭を風景あつかいすることだ。見知らぬ人に自分の町の通りをこう歩いてほしい、と思うように歩けば、大垣はフレームが約束したすべてを返してくれる。
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