英語原文からの翻訳です。訂正歓迎します。
庄内平野の三日間——新幹線がたどり着かなかった海辺へ
上越新幹線は新潟で終わり、山形新幹線は新庄で内陸へ折れる。その二本の隙間に、どちらの手も届かない海岸線を持つ米どころの平野がある。たどり着くには、新潟で「いなほ」(稲穂の意)という特急に乗り換え、左手に日本海を見ながら、風車と水を張った田んぼの脇を、北へおよそ二時間。代償は時間だ。その時間が買ってくれるのは、新幹線の人波を一度も受け止めずに済んだ地域であり、三日あれば駆け足ではなく、きちんと見て回れるという事実である。
一日目、酒田と倉庫
酒田は、町になる前から港だった。庄内平野の米は、北前船の航路に乗って大坂へと、ここから運び出されていった。1893年に建てられた山居倉庫は、今も低い棟を連ねて建っている。背後には壁を日差しから守り、米を涼しく保つために植えられた欅(けやき)の並木。いくつかの棟は現在、資料館や物産館になっているが、残りは今も倉庫のままだ。だからこの並びは、記念碑には見えない。
日和山公園の方角へ少し歩けば、赤い階段と昼下がりの舞娘の踊りで知られる旧商家の茶屋・相馬樓があり、大名の休息所として作庭された庭を持つ本間美術館がある。どちらも一時間あれば足りる。酒田は、隙のない旅程よりも、ゆっくりとした徒歩の周回によく応えてくれる。
この平野には、見られるために建てられたものは何一つない。米を濡らさないために建てられ、そしてその務めを果たしてきた。
二日目、2,446段
鶴岡駅からは、出羽三山のうち最も訪れやすい羽黒山へバスが出ている。随神門をくぐると、樹齢数百年の杉並木のあいだを、2,446段の石段が登っていく。五重塔が立つのはその麓近く、まだ何も勝ち取っていないうちに現れる。登りに二時間を見て、水を持つこと。そして記憶に残るのは山頂ではなく、杉のほうだと思っておくこと。
夜は宿坊に泊まり、精進料理をいただく。山菜、ごま豆腐、声高なものは何もない。夕食は早く、九時には建物全体が静まり返る。
三日目、予定を立てずに鶴岡へ
鶴岡は2014年、ユネスコ創造都市ネットワークの食文化分野に加盟した。それは実際のところ、在来作物が今も少量ずつ作り続けられているということだ。秋には温海(あつみ)かぶ、八月にはだだちゃ豆。午前は山王(さんのう)の朝市で過ごし、帰りの列車の前に、在来線で海沿いを二十分下って温海温泉へ。
庄内は、急がない人のためにできている。
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