英語原文からの翻訳です。訂正歓迎します。
安慶と桐城――長江の塔、黄梅戯、そして幅六尺の路地
朝6時を少し回ったころ、安慶の迎江寺(Yíngjiāng Sì)の下に広がる川岸は、そこを日々使う人たちのものだ。ビニールの鞘に収めたままの剣で太極拳をする男性。魔法瓶のお茶を分け合うふたりの女性。釣り人たちは欄干に竿を立てかけて並んでいる。その背後では、振風塔(振风塔、Zhènfēng Tǎ)が朝の光を受けて灰色から金色へと変わっていく。目の前の長江を、細長く背の低い貨物船が、停泊しているのかと思うほどゆっくりと下っていく。旅行者の多くは、合肥と九江を結ぶ高速鉄道の車窓から安慶を眺めるだけだ。だからこそ、ここで過ごす二日間はなんとも贅沢に感じられる。
船が目印にしてきた塔
水上から見たこの街の姿は、この塔があってこそのものだ。寺の境内から八角形のレンガ造りの七層がそびえ、航路図が印刷されるはるか以前から、船頭たちはこの塔を目印にしてきた。地元の人は今も guòle Ānqìng bù shuō tǎ(过了安庆不说塔)という言い回しを口にする。安慶を過ぎたら、もう塔の話はするな、という意味だ。内部の階段は狭くて急で、石の踏み板はすり減り、浅い鉢のようにくぼんでいる。各階の窓が、川と橋と屋根並みをそれぞれ違う角度で切り取ってみせる。
県内の町々から団体客がやって来る前、朝早くに訪れて、まずは寺の中庭を歩こう。本堂の軒下には線香の煙がたまり、ひざまずくための座布団は真ん中がすり減って平たくなっている。そのあとは堤防沿いの遊歩道をたどって旧市街の中心へ戻る。ベンチとプラタナス、ボトル入りのお茶を売る売店が並ぶ、ありふれた街の遊歩道だ。それでも歩く価値があるのは、すぐ脇を流れる川のおかげ。このあたりの長江は幅が広く、対岸は低い緑の線にしか見えない。
水餃がワンタンを指す街の朝ごはん
中国のたいていの場所で水餃(水饺、shuǐjiǎo)を頼めば、三日月形の餃子が出てくる。ところが安慶で頼むと、ネギを散らし、表面にうっすら脂の浮いた澄んだスープに、皮の薄いワンタンが泳ぐ一杯が出てくる。いちばん名の知れた店は江毛水餃(江毛水饺、Jiāngmáo Shuǐjiǎo)。中心部に何店舗も構える、長く続く地元のブランドだ。カウンターで支払いを済ませ、番号札を受け取って、自分の番号が呼ばれるのを待つ。
屋台の揚げものも一品添えたい。揚げパンの油条(yóutiáo)か、安徽省のあちこちで焼餅(烧饼、shāobing)の名で売られている、ゴマをまぶした平たいパンだ。それから、目抜きの歩行者天国である人民路(Rénmín Lù)を、朝食の腹ごなしに歩く人たちと同じ速さでたどってみよう。路面の店はどこにでもあるチェーン店ばかりだが、視線を上げてほしい。上の階に古いファサードを残す建物がいくつもあり、脇道に入ると、竹竿に洗濯物を干した三階建ての集合住宅が並ぶ街区が続いている。
かつての省都の裏通り
清朝の大半から二十世紀に入るまで、安慶は安徽省の省都だった。省名の「安徽」は、安慶と徽州、それぞれの頭の一字を組み合わせたものだ。その歴史は記念碑よりも、古い商店街の規模にこそ表れている。人民路からすぐの倒扒獅街(倒扒狮街、Dàobāshī Jiē)は、灰色レンガの商家が並ぶ短い修復区間。その名は逆さを向いた石の獅子にちなむもので、由来については一つならぬ説を耳にするだろう。
探してみたいのが胡玉美(Hú Yùměi)。そら豆を発酵させた味噌、蚕豆醤(蚕豆酱、cándòu jiàng)をつくる安慶の老舗だ。店では辛さの異なる数種類を瓶詰めで売っていて、塔の絵柄が入ったどんな品よりも誠実なお土産になる。日が傾いてきたら、北の菱湖公園(Línghú Gōngyuán)へ。柳とジグザグの橋が続く湖畔の公園で、夏には蓮が咲く。東屋の下にはアマチュアの歌い手や二胡(èrhú)の奏者がよく集まり、通りがかった誰かのために、劇中の名曲をさらっている。
黄梅戯を、生まれた土地で聴く
安慶は黄梅戯(黄梅戏、Huángméi xì)のふるさとだ。安徽と湖北の省境に連なる山あいの茶摘み歌から生まれ、この街の舞台で磨き上げられた。京劇と比べると、驚くほど素朴に響く。打ち鳴らされるシンバルは控えめで、旋律が豊か。歌詞は観客がちゃんと聞き取れる、柔らかな地元の言葉で歌われる。多くの旅行者がなんとなく耳にしたことのある旋律は『天仙配』(Tiānxiān Pèi)の一節。天女と農夫が連れ立って家路をたどる二重唱だ。自分を戯曲ファンだとは決して名乗らないような人が、口ずさんでいるのを耳にするかもしれない。
街の劇団は毎日公演しているわけではなく、スケジュールも季節によって変わる。ホテルのフロントで尋ねるか、数日前に劇団のWeChat公式アカウントを確認しよう。公演がなくても、公園での稽古を聴けば、その響きはおおよそつかめる。夕食には山粉圓子焼肉(山粉圆子烧肉、shānfěn yuánzi shāo ròu)を探してみたい。サツマイモでんぷんのもちもちとした団子を、豚バラ肉と一緒に醤油と砂糖で煮込んだ一皿で、この地方の家庭的な食堂ならどこでも出会える。
桐城の朝と、幅六尺の路地
桐城(Tóngchéng)は安慶から列車で北へすぐの町だ。何世代にもわたってその散文が学校で教えられてきた清代の文章家たちの一派、桐城派(Tóngchéng pài)は、この町の名に由来する。ただ、町でいちばん人が訪れる名所は、その文学上の名声に比べてずっとつつましい。六尺巷(Liùchǐ Xiàng)は二つの塀に挟まれた石畳の細い路地で、端から端まで数分で歩けてしまう。
人々がやって来るのは、その物語のためだ。清の大臣・張英(张英、Zhāng Yīng)の家族が、境界の塀をめぐって隣家と争いになり、都にいる張英に手紙を送って後ろ盾を求めた。張英は短い詩で返事をし、譲ってやりなさいと諭した。家族は塀を三尺、中国の古い尺で三尺ぶん後ろへ下げた。隣家は恥じ入って同じように塀を下げ、二つの塀のあいだに生まれた隙間が、誰もが通れる路地になった。
千里修书只为墙,让他三尺又何妨。
読みは qiān lǐ xiū shū zhǐ wèi qiáng, ràng tā sān chǐ yòu hé fáng。塀ひとつのために千里の彼方から手紙をよこすとは。三尺くらい譲って何の差し支えがあろうか、という意味だ。路地の近くでは、この句が彫られたり刷られたりしているのを目にするだろう。そのあとは近くの桐城文廟(桐城文庙、Tóngchéng Wénmiào)まで歩いてみよう。イチョウの老木と静かな中庭があり、帰りの列車までのんびり過ごすのにちょうどいい。
アクセスと季節、そして避けたいひとつの失敗
安慶駅(安庆站、Ānqìng Zhàn)は合肥や九江と結ぶ高速鉄道の路線上にあり、日によっては上海や南京からの直通列車もある。桐城東駅(桐城东站、Tóngchéng Dōng Zhàn)は合肥方面の路線上にあるので、二つの町を一度の予約で回れる。時刻表は変わるので、特定の列車に合わせて計画を立てる前に、12306か駅で確認を。まずは安慶駅から川沿いへ、タクシーか配車アプリで向かうのがいちばん手軽だ。迎江寺、塔の登楼、劇の公演はいずれも有料で、料金はそれぞれ異なる。料金と開館時間は、古いブログ記事ではなく、入口や劇団で確かめてほしい。
このあたりを歩くのにいちばん穏やかなのは、春と秋の半ばだ。真夏は蒸し暑いが、菱湖公園の蓮がもっとも見事なのもこの時期。六尺巷をひとり占めしたいなら、国の祝日は避けよう。避けたいひとつの失敗とは、近くの潜山にある花崗岩の山、天柱山(Tiānzhù Shān)をこの二日間に詰め込もうとすることだ。この山にはまる一日が必要になる。三日目を足すか、次の旅にとっておこう。
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